皐月賞と菊花賞の二冠馬と皐月賞とダービーの二冠馬のその後の活躍

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皐月賞と菊花賞の二冠馬と皐月賞とダービーの二冠馬ってどっちが強いんだろう?

このような疑問はありませんか?

毎年盛り上がる3歳牡馬クラシック。

その後、4歳5歳でさらにGⅠ勝利を積み重ねる馬、3歳がピークだったのかと思われる馬の2パターンに分かれます。

競馬を始めると、昔から有名な皐月賞・ダービー・菊花賞、それぞれの格言があります。

皐月賞⇒最も速い馬が勝つ

ダービー⇒最も運のいい馬が勝つ

菊花賞⇒最も強い馬が勝つ

この記事では、グレード制導入後(1984年以降)に絞って、最も速くて強い馬(皐月賞・菊花賞)と、最も速くて運がいい馬(皐月賞・ダービー)がその後、引退までにどんな成績だったのかをまとめました

皐月賞と菊花賞の二冠馬と皐月賞とダービーの二冠馬一覧

皐月賞と菊花賞の二冠馬は、グレード制導入後(1984年以降)5頭います

馬名
1985年ミホシンザン
1987年サクラスターオー
1998年セイウンスカイ
2000年エアシャカール
2012年ゴールドシップ

皐月賞とダービーの二冠馬は、グレード制導入後(1984年以降)6頭います

馬名
1991年トウカイテイオー
1992年ミホノブルボン
1997年サニーブライアン
2003年ネオユニヴァース
2006年メイショウサムソン
2015年ドゥラメンテ

皐月賞と菊花賞の二冠馬と皐月賞とダービーの二冠馬のその後の成績

皐月賞と菊花賞の二冠馬5頭が、その後に勝ったGⅠタイトルをまとめます。

馬名菊花賞以降のGⅠ勝利
1985年ミホシンザン5歳→天皇賞(春)
1987年サクラスターオー
1998年セイウンスカイ
2000年エアシャカール
2012年ゴールドシップ3歳→有馬記念
4歳→宝塚記念
5歳→宝塚記念
6歳→天皇賞(春)

ミホシンザンは、クラシック三冠馬シンザンを父に持ち、シンザン産駒の最高傑作と評された馬です。

4歳時は3着が続き、なかなか勝ちに恵まれませんでしたが、5歳の年明けからAJCC(GⅡ)・日経賞(GⅡ)・天皇賞春(GⅠ)と3連勝しました。

サクラスターオーは、菊花賞を制した同年、ファン投票ぶっちぎりの1位で出走した有馬記念のレース中、通常なら予後不良、安楽死になる致命傷を負ったが、オーナーの懇願により延命措置が施された。

手術も施されたが、症状は改善せず、新たに脱臼を発症したため安楽死となった。

セイウンスカイは、4歳になり日経賞(GⅡ)、札幌記念(GⅡ)を勝ったが、秋の天皇賞後、屈腱炎を発症し、1年半の長期休養を余儀なくされた。

6歳春の天皇賞で復帰するも1着から15.8秒離された12着(最下位)を最後に引退。

エアシャカールは、4歳以降GⅡ2着、GⅠ4着と健闘したものの皐月賞と菊花賞の時のような輝きは見られませんでした。

ゴールドシップは、菊花賞の勢いそのままに有馬記念を勝ち、4歳・5歳で宝塚記念連覇、6歳の春に天皇賞を勝ち、GⅠ6勝、計13勝を挙げました。

次に皐月賞とダービーの二冠馬6頭が、その後に勝ったGⅠタイトルをまとめます。

馬名ダービー以降のGⅠ勝利
1991年トウカイテイオー4歳→ジャパンカップ
5歳→有馬記念
1992年ミホノブルボン
1997年サニーブライアン
2003年ネオユニヴァース
2006年メイショウサムソン4歳→天皇賞(春)
4歳→天皇賞(秋)
2015年ドゥラメンテ

トウカイテイオーは、七冠馬の父シンボリルドルフ同様、無敗でダービーを勝ちましたが、ケガで菊花賞を断念。親子二代での無敗のクラシック三冠の夢はついえました。

翌年復帰2戦目の天皇賞(春)で再び骨折が判明し、春シーズンを棒に振るも秋にはジャパンカップを制覇。

5歳シーズンもケガに見舞われ、364日ぶりのレースとなった有馬記念で優勝。

翌年も現役続行で調整が進められていたが、度重なるケガのため引退。

ミホノブルボンは、当時の最新施設であった坂路でスパルタ調教で鍛えられたことで「坂路の申し子」と呼ばれました。

菊花賞2着後は、脚部不安、骨膜炎、骨折などで復帰は叶わなかった。

サニーブライアンはダービー後、全治6か月の骨折が判明し、菊花賞を断念。

骨折が癒えた後は、天皇賞(春)を目標に調整が進められていましたが、調整中に屈腱炎を発症。

そのまま復帰することなく引退。

ネオユニヴァースは、ダービー後宝塚記念に向かう異例のローテーションで4着、菊花賞3着、3歳で挑戦したジャパンカップは4着と惜敗。

4歳時、GⅠ昇格前の産経大阪杯(GⅡ)を勝つも、その後天皇賞(春)では10着と大敗。その後屈腱炎および骨折、治療に専念していたが同年9月に引退・種牡馬入りが発表されました。

メイショウサムソンは皐月賞・ダービーの二冠達成後、菊花賞では4着。

翌年の天皇賞では春秋制覇。

その後もジャパンカップ3着、5歳シーズンには連覇を狙った天皇賞(春)で2着、宝塚記念2着と見せ場もありましたが、5歳の有馬記念8着をもって引退。

ドゥラメンテは、ダービー後軽度の骨折が発覚し、秋シーズンは全休。

翌年中山記念(GⅡ)で9か月ぶりに復帰し1着。

3月にはドバイシーマクラシック(GⅠ)で2着、6月には宝塚記念で2着に入るもレース直後左前肢ハ行と診断される。

【ハ行とは?】

歩行時に痛みが伴い、歩き続けることが出来ない状態。

凱旋門賞も視野に入れていましたが、獣医師から競走能力喪失の診断が下され、引退することになりました。

皐月賞と菊花賞の二冠馬は割と多いのにダービーと菊花賞の二冠馬がほとんどいないのはなぜか?

グレード制導入以後の皐月賞と菊花賞の二冠馬は5頭いました。

皐月賞とダービーの二冠馬は6頭いました。

しかし、ダービーと菊花賞の二冠馬はグレード制導入後、1頭もいません。

グレード制導入以前を含めても、1943年のクリフジ、1973年のタケホープの2頭しかいません。

「なぜダービーと菊花賞の二冠馬は少ないのか?」

その理由として考えられることは2つです。

・開催時期が空く

・距離適性

開催時期が空く

皐月賞(4月)、ダービー(5月)、菊花賞(11月)の開催時期を考えると、ダービーが終わってから約半年空きます。

クラシック戦線で活躍する馬は、ダービーを終えて一旦休養に入る馬がほとんどです。

そして、秋初戦を迎えた時、+10~20kgと体重を増やして出てきます。

この体重増は、筋肉が増えたり、骨格がしっかりしたりして、パワーアップしている証拠として成長分だと言われます。

馬の成長曲線は、早熟~晩成に分けられますが、ほとんどの馬にとっては3歳の春から秋にかけて大きく成長するものなのでしょう。

前述の二冠馬を例にとると、皐月賞・ダービーの二冠馬は例外的にトウカイテイオーが5歳で有馬記念を勝ちましたが、メイショウサムソンも活躍したのは4歳までです。

ネオユニヴァース以外はケガで引退しているのでサンプルが少なすぎてなんとも言えませんが、皐月賞・菊花賞を勝っているミホシンザンとゴールドシップが5歳6歳までGⅠを勝てたことを考えれば、菊花賞を勝った馬はやや成長曲線が他の馬より晩成気味なのかなと考えられなくもありません。

開催間隔が5月~11月まで開くことで、成長分も含め、クラシック戦線の勢力図が変わってくると考えられます。

距離適性

競馬をやっていると必ず耳にする「距離適性」。

皐月賞・菊花賞の二冠馬であるミホシンザンとゴールドシップはともに春の天皇賞(3200m)を勝っています。

皐月賞・ダービーの二冠馬メイショウサムソンも天皇賞(春)を勝っていますが、同時に秋の天皇賞(2000m)も勝っています。

近年のキタサンブラックやフィエールマンのように、菊花賞を勝った馬と春の天皇賞は切っても切り離せません。

過去20年の天皇賞(春)の勝ち馬を見たら、ダービー馬がメイショウサムソンとディープインパクトの2頭、菊花賞馬が7頭います。

ディープインパクトを除くと、ダービー馬1頭、菊花賞馬6頭と明らかに勝ち馬に差が出ます。

ということは、ダービーと菊花賞で求められる能力が全く違うと言えるのではないでしょうか?

まとめ

当記事をまとめます。

グレード制導入(1984年)後

皐月賞・菊花賞の二冠馬⇒5頭

皐月賞・ダービーの二冠馬⇒6頭

それぞれの二冠馬のその後の活躍は次の通りです。

皐月賞と菊花賞の二冠馬5頭のその後の活躍。

馬名菊花賞以降のGⅠ勝利
1985年ミホシンザン5歳→天皇賞(春)
1987年サクラスターオー
1998年セイウンスカイ
2000年エアシャカール
2012年ゴールドシップ3歳→有馬記念
4歳→宝塚記念
5歳→宝塚記念
6歳→天皇賞(春)

皐月賞とダービーの二冠馬6頭の、その後の活躍。

馬名ダービー以降のGⅠ勝利
1991年トウカイテイオー4歳→ジャパンカップ
5歳→有馬記念
1992年ミホノブルボン
1997年サニーブライアン
2003年ネオユニヴァース
2006年メイショウサムソン4歳→天皇賞(春)
4歳→天皇賞(秋)
2015年ドゥラメンテ
ダービーと菊花賞の二冠馬がほとんどいないのはなぜか?

・開催間隔が空くことで、勢力図が変わる

・距離適性

馬によって成長段階が異なりどちらの二冠馬が強いかという結論は各々の見解によりますが、1つだけ確かなことは、ケガによる離脱が多いことです。

そのくらいレースというのは、特に馬の脚にとって過酷なものなのでしょう。

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